福生駅に行ってきました。
その昔、福生駅から多摩川の河原まで敷かれた「砂利線」と呼ばれた砂利運搬の支線がありました。
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福生河原支線廃線跡を歩いて
同じJR青梅線の拝島駅からは、東京府拝島側線と
西尾砂利線という2つの砂利線が多摩川まで敷かれていましたが、福生駅にも2つの砂利線が敷かれていたようです。
<以下、福生市史からの引用>
第5節 福生と熊川に敷設された鉄路 p.179
「大正 九年 明治神宮造営用の砂、砂利、玉石運搬のため、福生駅砂利置場から加美一一八五番地先まで、延長約一四〇〇メートルの間にトロッコ軌道が敷設される」
「昭和 二年 大正天皇陵(多摩御陵)造営のため砂利、玉石の採取がおこなわれ、この輸送のため福生駅砂利置場から、河岸積込所の間に砂利運搬用の軌条が敷設され、昭和三四年まで存続した」
<引用終わり>
大正九年に敷設された砂利線が今回は調べた砂利線です。 昭和二年に敷設された砂利線は上の「福生河原支線」です。
また、鉄道廃線跡を歩く V 宮脇俊三 著 p.54~55 (JTBキャンブックス)にも 福生河原支線とともに、このもう一つの砂利線が記載されています。
<以下、引用>
「なお、大正9年(1920)には福生駅から玉川上水手前までトロッコ線が敷かれたとの記録もある。ただし、大正10年測量の地図には掲載されておらず、その正確な位置は確認できなかった(G)。」
写真の説明文
「福生駅からのトロッコ線の終点と考えられる地点 上福生バス停付近(G地点)」
<引用終わり>
調べてみると、福生河原支線は多くの地図に描かれていますが、このもう一つの砂利線は地図には描かれていませんでした。
2009.11 福生の砂利線
福生駅
砂利置場と思われる場所
(
後日、反対側(東口側)にあったとする文献があることが判明)
砂利線跡と思われる道路
福生1小の横を通る。
(
後日、ルートは福生1小より西側であることを示す文献あることが判明)
下っていく。
さらに先に道路に沿って歩く
福生駅方を望む
カーブの具合が廃線跡と思えなくもない。
この先は奥多摩街道があり玉川上水に至る
「鉄道廃線跡を歩く」によると、砂利線の終点は上福生バス停付近とあるが、上福生バス停は現在は無くなっている。 ここが終点だと考えると福生駅から歩いてきた道路が廃線跡である可能性が高い。
「福生市史」によると終点は、加美1185番地であるが、現在は、”福生市加美1185番地”という地名は存在していない。(加美平という地名はある。また町内会の名前として”加美”という地名は存続している。 ) 地名は変遷しており、現在、この付近の地名は福生市大字「福生」である。 (福生市大字福生1185番地は福生かに坂公園にあたる。こちらの方が砂利採取地として可能性が高い気がする。 しかし、もし、終点が福生かに坂公園の場合は軌道は「福生河原支線」と一致してしまうようだ。)
(
後日、別ルートでかに坂公園に至っていたとする文献があることが判明)
(後日、「福生市大字福生字加美1185番地」という地名が存在し、「福生市大字福生1185番地」と同じであることがわかりました)
玉川上水をわたった先には酒造所がある
多摩川で採取された砂利は玉川上水を渡って運ばれ、玉川上水を渡った先からトロッコで福生駅まで運ばれたのだろうか?
この砂利線は、拝島駅の「西尾砂利線」と同様地図には掲載されていない。軌道は謎のままである。
(
後日、軌道がトロッコ道として掲載されている文献があることが判明)
この砂利線について、皆様情報をお待ちしています。
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福生8 (もう一つの砂利線2)