脱線した線路は、右に曲がるカーブを描いているが、昔は、曲がらずに、真っ直ぐ伸びる線路があり、さらに、今ある右に曲がる線路との間にも、もう一本の右に曲がる線路があった。つまり、線路は、3つに分かれていたのである。
テレビニュースでは、先頭車両運転席から見た映像が流されている。事故が起きたカーブの手前に空き地が見えたが、それが廃線跡のように思われた。そして、昔にこの線に乗った記憶では、もっと工場が迫った中を通る線路があった記憶があったので、少し調べてみた結果である。
現在は、一番右に曲がるカーブの線路のみが残されている。あとの2つの線路は、なくなっているが、それらの線路跡の近くに、電車が衝突した、例のマンションが建てられているようである。
詳しくは、下記、昭和54年度の空中写真で確認することができる。
現地の空中写真(昭和54年度)
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」
整理番号 CKK-79-2 撮影年度 昭和54年度 地区名 大阪