拝島駅に行ってきました。
拝島駅には、多摩川で採取された砂利を運搬する砂利運搬軌道が2本ありました。
一つは、以前の記事にしました
西尾砂利線です。
(マイホームページへのリンク→
西尾砂利線)
そして、もう一つが、今回の東京府営砂利運搬軌道です。
拝島の砂利線としては、昔の地図にも掲載されているためか、こちらの方が有名で、H.Kumaさんも、
拝島の砂利線(東京市財務局線) で、レポートされています。
「多摩の鉄道史」 多摩地域史研究会第17回大会<発表要旨> 2008年7月6日開催 (昭島市民図書館 所蔵)の中に「拝島駅をめぐる鉄道史」三村 章氏という発表要旨があり、その中の「拝島駅に運ばれた多摩川砂利」として、この2つの砂利線が掲載されています。
福生市史には、拝島駅には「東京府拝島側線」という砂利線があり、大正10年から昭和28年まで稼動していたそうです。以下福生市誌より引用
「東京府拝島側線 これは東京府が年間三000立坪の砂利を算出する計画で、南公園の南西、多摩川と秋川の合流点付近の河原から、南・内出通り、わかたけ会館西側の墓地の脇を通り、奥多摩街道を横切り、市消防団第一分団詰所裏を抜け、国道十六号に出て、拝島西側の砂利置場まで約四キロメートルの間に敷設され、昭和二八年まで稼動していた。」
引用終わり
ただし、「多摩 鉄道とまちづくりのあゆみ(資料編) 」(株)古今書院 p.124 に「東京府拝島側線」についてについて書かれてありました。 以下引用
「側線の役割は、本線である青梅線への導入路である。これでは砂利線の役目は果たしておらず、本来の砂利線は、多摩川の採掘現場から側線の積込場までの約一キロ間に敷かれ、初期のころは馬、後にはガソリン動力となるトロッコであったといってよい。」
拝島側線と本来の砂利線とは異なるとのことです。
というわけで、この砂利線を歩いてみました。
拝島駅(南口)
橋上駅舎は2010年3月に全面完成したとのこと。
拝島側線跡
拝島駅を南口を出て、目の前の道路を右に歩いて行く。道路が左にカーブする地点の線路側に駐車場がある。駐車場から線路が見える。 駐車場は砂利置場の跡で駐車場に接するように、青梅方向に側線が敷設されてあったと思われる。 昔の拝島駅の写真にはこの側線のレールが写っていたようである。
カーブする地点
拝島側線に接続された砂利運搬軌道(以下砂利線)はカーブし多摩川に向かって行く。砂利線は、この広い道路と一致する。
16号に出る地点
しばらく歩くと国道16号に出る。砂利線は、16号を渡り、写真中央の2番目の黒い車の前にあるコイン式駐車場付近に至る。
コイン式駐車場
砂利線は、駐車場を出ると奥のアパートに続いている。駐車場の奥からは砂利線への出口は無い。
路地
一旦16号に戻り、次の信号を右に折れ、しばらく歩くと、上のアパートの裏から続く路地を見つけることができる。
路地から続く道路
上の路地から道路(16号の信号から入った道路)に続いている。
この先、道路は廃線跡特有のカーブを描く。
新奥多摩街道に至る道路
しばらく歩くと、この先、新奥多摩街道を渡る。
消防団第一分団詰所
新奥多摩街道を渡る地点。周りには、コンビニ、回転すし店、ディスカウントストアなどがある。
この先、奥多摩街道を渡ると墓地の脇を通る小道がある。
酒造所に至る道路
上の小道を出て右に曲がりと、狭いが車の交通量が多い道路に出る。
酒造所の前
上の小道を出て右に曲がり、しばらく歩くと、多摩の有名な酒造所の前を通る。
睦橋通りに続く道
広い車道(睦橋通り)に続く。その先はもう多摩川である。
南公園
南公園は、かつては、砂利採取地であった。
(写真の右下に写っているものは、軌道跡ではありません。門のレールです。)
睦橋の上流側に至る軌道跡
地図によると下流側、南公園に至る軌道と分岐して、睦橋の上流側に至る軌道があったようである。
多摩川の堤防の手前
堤防の上に至る小道がある。
多摩川の堤防
この先、多摩川の堤防に至る。この堤防の上を軌道があったかは不明である。