西尾砂利線とは、五日市郷土館で開催された五日市鉄道の企画展(2006年12月~2007年2月)において、展示物としてあった「拝島停車場平面図」(個人所有)に描かれていた砂利線のことです。
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西尾砂利線9
文献「昭島の昔語り」では、西尾組が砂利を引き上げた場所に今も土台が残っているとの記述があるとやまいも様からコメントをいただきました。ありがとうございました。
以下、 「昭島の昔語り」 (昭島市教育委員会 平成12年3月31日) の57ページから引用
田中嘉晃 私なんかの知っている洪水というのは、西尾の砂利をふるっている会社がありましてね。そこで、乙幡さんの長屋に三軒ありまして、そのうちの原島さんというお父さんが仲間と一緒に流されまして、中州へ取り残しになって、左入の方まで行って助けれられた、そんな美談があったのを思い出します。
(略)
臼井重雄 現在でも、堤防に、西尾が砂利を揚げたときの基礎ががっちりあります。
(略)
臼井重雄 とてもいい砂利が出てね。とにかく、このすぐ向こうまで砂利船が来ていて、これから田中のところから上がって、それで五日市線かな、あれが砂利を立川へ送ったんですからね。そのころの多摩川は優秀だった。
<引用終わり>
というわけで、多摩川の堤防まで行ってきました。
砂利船というのは砂利線の間違いかもしれません。
五日市鉄道(立川―拝島間)の支線が武蔵田中(田中町)から拝島多摩川(多摩川)までありました。
多摩川堤防上の構造物
これが西尾組が砂利採取を行っていたときの遺構だろうか?
砂利採取地点付近である。以前からこれがあることは知っていた。
後ろに見えるのは、都営拝島町三丁目アパート
多摩川堤防上の構造物
他には基礎と思われるものは、見当たらない。
多摩川堤防上の構造物
少し下流にも同様の構造物がある。一つは上部が壊されている。
拝島駅から都営拝島町三丁目アパート方向を望む。