武蔵福島の駅跡に行ってきました。
JR五日市線の前身である五日市鉄道には、拝島-立川間に、青梅線と並行して走る独自の路線を持っていました。拝島-立川間に武蔵福島駅がありました。
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五日市鉄道廃線跡 「拝島―立川」 間を歩いて
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武蔵福島2
2013.3 武蔵福島 (東京都 昭島市)
正面の店舗から右側の民家の方向に駅があった。
武蔵福島駅(武蔵福島停留所)があった場所はわかってきた。
この先、立川方は行き止まりである。
昭和公園(昭和記念公園でなない)に入り、迂回できる。
立川方に歩くと昭和公園への入口に出る
昭和公園への入口
立川方を望む。五日市鉄道線路跡の案内板が左側に見える。
線路跡は正面の木の右側から写真奥の方向へ行く道路になっている。
「五日市鉄道線路跡」
この東西の道路は、昭和5年(1930年)から昭和19年(1944年)までの間、立川駅と拝島駅を結んでいた五日市鉄道(単線)の線路跡で、すぐ西には武蔵福島駅がありました。
現在のJR五日市線の前身である五日市鉄道は、大正14年(1925年)4月21日、拝島・武蔵五日市間(11.1km)が最初に開通し、蒸気機関車が走りました。後に立川駅までの延長が認められ、立川・拝島間(8.1km)が昭和5年(1930年)7月13日に開通しました。
立川・拝島駅間には、「武蔵上ノ原」「郷地」「武蔵福島」「南中神」「宮沢」「大神」「武蔵田中」「南拝島」の8駅がありました。
旅客用にはガソリンカーが運転され、「五鉄」の愛称で親しまれた五日市鉄道は、昭和15年(1940年)に南武鉄道と合併し、昭和19年(1944年)4月1日には、太平洋戦争の影響で青梅線といっしょに国に買収されました。そして、近くを青梅線が走っているという事情から、立川・拝島駅間は昭和19年10月11日付けで休止路線とされ、そのまま廃止されました。
平成12年(2000年)3月 昭島市
五鉄通り (道路愛称名表示板)
立川方を望む。道路愛称名表示板が左側に見える。東町五丁目3番