羽村駅に行ってきました。
羽村駅からの砂利線について調べてみました。
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羽村
出典 近代デジタルライブラリー
経済調書. 第1編 東京鉄道局運輸課 編
2014.6 羽村 (東京都 羽村市)
「牛坂通り」
羽村から福生側に向かうスペースがある。
歩いて行くと駐輪場がありその先は車道に出る。
「牛坂通り」
五ノ神の都史跡「まいまいず井戸」が江戸時代の中期に改修された時、多摩川の石などを積んだ牛車が、この道を通ったといわれています。
羽村駅方を望む
多摩川方を望む
歩いて行くと新奥多摩街道と交差する。
この先カーブしている。
この辺は区画整理が計画されているらしい。
マンションの裏の坂道になっている。
中央のマンションへの入口が牛坂通りになっている。
写真右側に玉川上水が流れている。奥多摩街道
「お寺坂」
上流側に歩くと羽村堰入口の交差点がある。
羽村駅に至る「お寺坂」
「牛坂通り」に比べると勾配は急である。
「馬の水飲み場跡」
「馬の水飲み場とお寺坂」
ここには、豊かな湧き水を利用した馬の水飲み場がありました。坂の下に住む農家の人たちは、畑がハケ上(段丘)にあったので、この坂に大変苦労し、肥料や収穫物の運搬は、荷車を引く馬に頼っていました。このため急な坂をのぼったところに水の飲み場を作り、馬をいたわりました。
明治二十七年(一八九四)に青梅鉄道が開通してからは、多摩川の砂利を羽村駅まで運搬する馬の水飲み場としても大いに利用されました。
この坂は、近くに禅林寺があるので、お寺坂と呼ばれ、明治時代の中頃までは、荷車がやっと通れるほどの道幅でした。
昭和六十二年三月
羽村市教育委員会
多摩川方を望む。
羽村駅方を望む。
「旧鎌倉街道」
この道は、八百年の昔を語る古道で旧鎌倉街道のひとつと考えられています。
現在地から北方へ約三キロ、青梅市新町の「六道の辻」から羽村駅の西を通り、羽村東小学校の校庭を斜めに横切って遠江坂を下り多摩川を超え、あきる野市折立をへて滝山方面に向かっています。
入間市金子付近では、竹付街道ともいわれ玉川上水羽村堰へ蛇籠用の竹材などを運搬した道であったことを物語っています。
また、鎌倉時代に掘られたと伝えられる東京都指定史跡跡「まいまいず井戸」が羽村駅東口から徒歩二分のところにあります。
平成二十年四月二十日
羽村郷土研究会
「旧鎌倉街道」
斜めに交差する。
新奥多摩街道を渡る。
羽村駅方を望む。
羽村駅前の駐輪場に至る。
羽村市図書館
羽村駅からの砂利線について少し調べてみましたが、軌道が敷設されたとする資料は見つからなかった。