小作駅に行ってきました。
H.Kumaさんの最近の記事を参考にしながら、小作からの砂利線である東京市専用線を見に行ってきました。
H.Kumaさんの記事へのリンク→
小作のインクライン
2015.2 小作 (東京都 羽村市)
小作駅 東口
小作駅 西口
小作変電所
西口から歩いていくと変電所がある。
線路沿いの道
砂利線はこの先から本線より分岐していたとのことである。
くすのき児童公園
この公園の角を通過していたとのこと。
新奥多摩街道との交差していた辺り。
小作浄水場の施設。左右にある。
左の給水塔は遠くからもよく見える。
インクラインの跡
小作浄水場の中から降りていた。
道路から下に見える。
遊歩道を下りていき上を見る。
遊歩道を下りていき上を見る。
下を見る。
その先は崖になっていて多摩川に至る。
対岸まで橋で渡っていたのだろう。
右側の民家の庭先の道を歩くとこのような説明板があった。
「 砂利採取跡
この下の河原一体は、東京市(東京都)の砂利を採るところでした。
現在の小作浄水場のところに砂利場(砂利工場)があり、これが出来上がったのは大正10年3月でした。
河原から玉石、砂利、砂などをトロッコに載せ、巻き上げ機で急な坂道を引き上げ、選別機で、玉石、砂利、砂に分け、また玉石は砕石機で砕きました。
工場から小作駅まで引き込み線があり、貨車で運び、建設局、交通局、水道局関係などの工事の材料として関東大震災後の東京の復興、発展に大変役立ちました。その後、河原の採石が禁止となり、昭和40年に工場を閉鎖しました。
平成8年3月
羽村市教育委員会」
上流側に歩いて行く。圏央道の下を通る。
インクライン跡は写真中央付近と思われる。
危険とのことでこの先には行けない。引き返す。
圏央道
友田水管橋からインクライン跡を見る。
写真中央付近
小作の渡しの説明板
多摩川橋の下にあった。
「 小作の渡し
ここに橋ができるまでは渡し船でした。川水の少ない冬の間は、木の仮橋も利用されていました。明治の末ごろからは、専門の船頭さんが、この河原に小屋を建て、のんびりとわらじなどをなどを作りながらお客を待ちました。
大水の時に備えて、友田(現青梅市)の人々が相談の上、明治43年(1910)鉄索(搬軌)と呼ぶ空中ケーブルを作り、四角の鉄籠を太いロープで吊って手動で往来しました。やがてそれも大正9年(1920)には吊り橋に改められ、さらに昭和14年(1939)に鉄筋コンクリート橋となり、昭和62年(1987)に今の姿となりました。
平成11年3月
羽村市教育委員会」
小作駅 駅名標
小作駅 駅名標
上り側ホームの端付近から河辺方を望む。