はやいもので、母が亡くなってから1年がすぎた。
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すぐ戻れ
亡き母は、病床で四句の川柳をメモ帳に書き留めていた。この川柳が後で見つかった。その中の一句に次のようなものがあった。
川柳に励んでいられる先輩の心意気
この”先輩”というのが、よくわからなかった。それが誰なのかを聞こうにも、もうできない。
最近になって、その意味がようやくわかってきたような気がする。
人は、遅かれ早かれいつかは死ぬ。そういうことを悟っていたのだろう。
つまり、”先輩”とは”自分”のことで、”先に逝く者”という意味だったかもしれない。
2006.2.26
母の葬儀は、国鉄前線の廃線跡の近くの葬儀場で行われた。葬儀や通夜の準備をしていたある日の朝のことである。叔父と2人で葬儀場の窓から、連絡デッキの上を阪急・能勢電の川西能勢口駅の方からJR川西池田駅向かう通勤・通学客を見ながら世間話をしていた。その時、叔父さんが、奇妙なことを言っていたことを思い出した。「それにしてもあのような事故が起こるとは...」というようなことを言っていた。信楽高原鉄道の事故のことか、あるいは、この近くでも事故でも起きていたのを私が知らないだけか思い、適当な相づちをうっていた。あの福知山線脱線事故が起きる2ヶ月前のことである。その時以来、叔父には会ってはいない。一度、叔父に聞いてみたいと思っている。