武蔵五日市駅に行ってきました。
旧武蔵五日市駅の駅名標が五日市郷土館に展示されており、五日市鉄道に関する展示も行われているのです。展示は、昨年の12月から行われていたのであるが、年も明けてやっと訪問することとなった。あいにく朝から少し強い雨が降っており、やめようかと思ったが、今日を逃すと、またいつになるかわからないので、訪問することにしました。
2007.1.6 武蔵五日市 (東京都あきる野市)
冷たい雨が降っている。バスに乗ることにする。
西東京バス
「払沢の滝」行きのバスに乗り、「五日市高校前」のバス停で降り、
五日市郷土館に到着する。
真正面に見えるのは旧武蔵五日市駅の駅名標では?
近づいてみる。入り口のスロープのところにあった。やはり探していた駅名標であった。
旧武蔵五日市駅名標
さびており、ところどころ塗装がはがれている。しかし黒い文字のところははがれていない。文字のところは、今回の展示のために修復されたように思っていたがそうではなかった。
駅名標の2本の足は、スロープの下の地面の塩ビ製の水道管のような管に差し込まれて固定されている。この2本の管はその状態からみると以前からあったようである。2本の間隔は駅名標の2本の足にぴったりである。もしかすると、この駅名標は以前からこの場所にこの管によって固定されて展示されていたのではないだろうか?屋外展示で痛みが激しくなったため、いつからか展示されなくなってしまったのであろうか?
ビニールで覆われているが、「看板には触れないで下さい」と書かれた紙が挟まれている。
駅名標の裏を見る。こちらには駅名等は書かれていない。
駅名標の裏側
落書きが多い。何かの記念のために書かれたものだろうか?
あることに気がついた。この駅名標は駅の裏側を向いて立てられていたということである。
駅の正面側からは、駅名を確認できないことになる。平成元年頃に、この駅名標を見たとすると、駅の裏側から見たことになるのである。
駅の裏側の交通量は多かったのだろうか?という疑問が残った。
中に入り五日市鉄道の展示を見る。
数多くの古い写真、資料の展示があった。どれも貴重なものばかりである。
ホーロー駅名板には、武蔵五日市、秋川、武蔵増戸のものがあった。展示目録を見ると玄関前の旧武蔵五日市駅の駅名標とともに”個人蔵”とのことである。あの駅名標は五日市郷土館の所蔵品ではないということである。
大久野支線、拝島~立川間の廃線跡の地図があり、写真と対応付けられて展示されてあった。実際に五日市郷土館の人が現在の廃線跡を訪問して撮影されたもののようである。
1月中旬に展示の一部入れ替えがあるとのことであった。
また、拝島駅構内から「西尾砂利線」という線路が描かれている資料を発見した。拝島~立川間の五日市鉄道の線路を決める資料のようであった。拝島駅から砂利線があったことは知っていたが、この砂利線は、立川よりから上り方面に向けて引かれており、五日市鉄道の線路と交差している。別のもののようで興味深い。
武蔵五日市と武蔵増戸間に「大悲願寺前」という臨時停車場があったことも知った。もしかすると探している駅では?を思ったが、昭和17年を最後に発着されなくなったとのことであり、かなり古い。平成元年頃には、ホームとしての形は残っていなかっただろう。帰りに寄ってみることにした。
五日市郷土館を後にした。
雨も小降りになっていたので、バスには乗らず歩くことにした。
以前発見していたホーロー看板を撮影する。
かなり錆びているが、オロナミンCの看板である。巨人の星?の絵も描かれているため、錆びていなければ価値があったかもしれない。
コカコーラの看板もあった。
武蔵五日市駅 遠景
旧街道沿いに、また金鳥のホーロー看板があった。
旧街道から大悲願寺への道に入り、坂を上って行った。
五日市郷土館の展示で示されていた場所に「大悲願寺前」の臨時停車場のホーム跡を見つけた。
大悲願寺前 臨時停車場跡
探している駅だろうか?平成元年頃はホームの形が残されていたのだろうか?
かなり微妙である。
この後、武蔵増戸駅に行った。