故郷に入院した母を見舞いに行った帰り、電車を降り、拝島駅のホームに降り立つ。
その時、突然、携帯電話が鳴った。故郷の家族から母が危ないすぐ戻れという。向かいの東京行きの電車に飛び乗り、新幹線で一時間程前に通った同じ線路を逆に故郷へ。
新大阪に到着し、病院に向かうタクシーの中で、母の死を知った。行き先は葬儀場に変更になる。葬儀場に着く。
通夜や葬儀の打ち合わせをする家族。
その時、葬儀場の案内地図を見て愕然とした。
最近、ホームページへ掲載するため、私が作成した地図と同じであったからである。
(能勢電鉄「川西能勢口-川西国鉄前」間の廃線跡)
この葬儀場の近くにも廃線跡があった。昨年末と今年の正月に帰省したおり、この廃線跡を訪れていたのである。しかも、訪れた時、この葬儀場の前に何気なく立っていた記憶もあるのである。
探している古い記憶の駅は、廃線となったこの故郷の駅に似ているからだと思っていた。
今から思うと、私に何かを知らようとしていたのだろうか。
記憶にはないが、幼い頃、母と訪れていた場所であったのかもしれない。
亡き母が病床で詠んだ川柳である
(母は、詩、俳句や川柳を新聞に投稿し、よく掲載されていた)
アニメなど見てみたいとふと思い
氷点下上空なれど身の縮み
(この前、母が、明日は-30℃だと言っていた。いや、それは上空の気温だと家族のものが言っていたらしい。寒さに敏感になっていたので、天気予報が気になっていたのだろう)
川柳に励んでいられる先輩の心意気
(先輩というのは不明だが、ペンフレンドの影響もあるのではないかとのこと)
2005.2.25