武蔵増戸に行っていました。
武蔵増戸駅は、白丸駅と川井駅とともに現在駅舎改良中とのことです。
新しい駅舎になる前にもう一度行っておこうと思ったのです。
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武蔵増戸5 (横沢入・天竺山)2010.12 武蔵増戸 (東京都 あきる野市)
仮駅舎

仮駅舎となっていた。
旧駅舎

仮駅舎の裏に旧駅舎がある。まだ、取り壊されてはいない。
お知らせ

「 駅舎が変わります
下記の期間において「駅舎改良工事」
~「駅舎改良工事期間」(予定)~
平成22年11月中旬
なお、下記の期間においては仮駅のご利用となります。
平成22年12中旬 ~ 平成23年3月上旬
(以下略) 」
円形のデザインの駅に生まれ変わります。
下り側ホームから 武蔵五日市方を望む

待合室

レトロな待合室はこのままのようである。窓がアルミサッシになっている。
駅ホーム(上り側ホーム)

車道から上り側ホームを望む。
跨線橋に付属する形でエレベータが最近設置されたようである。
車道から駅を望む

屋根がないホーム部分が見える。
民家の間から駅を望む

民家の間から駅名標が見える。
当時、民家が無かったとすると車道から他のホーム部分も良く見えたかもしれない。
車の助手席から見ると視界は限定される。また立って見るよりは低い位置から見ることになる。
上り側ホームから 武蔵引田方を望む

上り側ホームから 武蔵五日市方を望む

対面式ホームであるが、上り側ホームの外側にも、もう一線ある。
車道から上り側ホームを見ると、島式ホームに見える可能性がある。
上り側ホームから 武蔵引田方を望む

先で合流するが、あまり使われていないためか、廃線跡のようである。
武蔵増戸駅 駅名標

むさしますこ、むさしひきだ、むさしいつかいち
この駅名標を見て、”むさし”が記憶に残り、むさしいつかいちの”い”の文字の左側の部分が”し”に見えて、その後が読めなかったのかもしれない。
横沢入の宮田西沢に昭和の戦前に石切り場からの伊奈石運搬のためにトロッコ軌道が引かれていたとのことで見に行ってきました。
2008.6
石仏
大悲願寺の散策路 横沢入にも通じる道に並んでいる。

「宮田西沢の案内板」
「ここは、宮田西沢とよばれる谷戸で、奥には伊奈石の石切り跡があります。 東京都」

宮田西沢
入口から撮影。 奥には立ち入らないでくださいとの看板があり、トロッコ軌道跡を探すことができなかった。

戦車橋
戦後、防空壕の中から出してきて、橋として使ったらしい。戦車の部品ではなく戦車に牽引されるものだったようである。

横沢-小机林道
林道を歩いてみた。林道に沿って別の石切跡からのトロッコにつながる場所があるらしい。
途中に林道にそのような小道があったように思う。

「釜ノ久保の案内板」
「ここは、釜ノ久保と呼ばれ、横沢入の源流部です。 東京都」

武蔵五日市駅方面に歩いて行った。
天竺山

武蔵五日市
武蔵増戸に行ってきました。
横沢入から天竺山を登ってきました。
とある「古城を紹介するサイト」によりますと、天竺山には、その昔、阿伎留城があり、伊奈石を採掘した跡やトロッコレールがあるとのことで、期待して行ったのですが…。
2008.4 武蔵増戸 (東京都あきる野市)
駅前に新しい道路がつながってロータリーができていたり、以前に訪問したときと比べて少し変化があった。

跨線橋から

線路沿いの道を武蔵五日市方面に向かって歩く。

古い石の道標があるところを右に入る。

横沢入
「横沢入里山保全地域」となっている。東京都最後の里山。自然と触れ合える場所である。
大勢の人が訪れていました。

横沢入マップ。地元の小学生が描いたもののようである。

天竺山への登り口
登り口は他にもあるようだが、ここから登ることにした。
尾根づたいの道だが、雨でぬかるんでおり、足を滑らせると谷に転がり落ちそうな険しい道であった。また、マムシも生息しているとのことで注意を促す看板がある。
途中に伊奈石の石切り場の遺跡や石切池等があった。

天竺山の頂上には三内神社がある。(三内神社はふもと(武蔵五日市側)にもある。)

頂上からの眺め
神社の石段を下っていくと武蔵五日市側に降りることができる。あるサイトによると、上の石段を降りたところの平坦地(二郭?)から西側にも竪堀状の採掘跡らしいものがあり、下っていくとトロッコレールがあるとのことであった。平坦地から横にそれる道もあったが、ここまで登ってきた山道自体が険しく非常にわかりにくいものであったため、探すのはあきらめそのまま下って行った。

三内神社への入り口。武蔵五日市から近い。
三内信号所付近。(昔、旧武蔵五日市行きの本線と大久野支線が分岐するスイッチバックを行っていた場所である)
この後、武蔵五日市に行った。(次回に続く)

大悲願寺
横沢入の入り口から、さらに武蔵五日市方向に線路沿いを歩くと大悲願寺に着く。

大悲願寺前の臨時停車場跡
線路左側の土が盛り上がっているところがホーム跡である。
武蔵増戸に行ってきました。
武蔵五日市の五日市郷土館に旧武蔵五日市駅の駅名標と五日市鉄道の展示を見に行った帰り、旧街道に残されている懐かしいホーロー看板や大悲願寺前の臨時停車場跡を探しながら、武蔵増戸まで歩いてきました。着いた頃にはすっかり日も落ちていました。
2007.1.6 武蔵増戸 (東京都あきる野市)
武蔵増戸駅舎

踏切からの撮影

上り側ホーム端から撮影

上り側ホームの反対側にも線路がある。
この線路は深夜に車両を留めるために使用するそうである。
武蔵増戸 駅名標

武蔵増戸 駅名板(ホーロー看板)

このようなホーロー駅名板が残されているところは少ないそうである。
武蔵増戸に行ってきました。
この日は、武蔵五日市でJR五日市線開業80周年のイベントが開かれていました。
武蔵増戸の駅名標を撮影してきました。
探している駅が、この駅である可能性が高いことは以前にも書きましたが、ただひっかかるのは、跨線橋があることです。その当時、跨線橋があったことがわかっています。
その時、ホームを見て、跨線橋があることは気が付くと思うからです。
跨線橋は、何かに隠れて見えなかったのでしょうか?
2005.11.26 武蔵増戸 (東京都 あきる野市)
武蔵増戸 駅名標
左は”むさしいつかいち”、右は”むさしひきだ”である。

武蔵引田側の踏切から武蔵増戸駅を望む。

武蔵引田方面に続く小道。

五日市線と交差する車が通れる踏切。南側を望む。

五日市線と交差する車が通れる踏切。南側を望む。
このような踏切を渡ったことを思い出してきた。
線路を渡って南側に出たような気がする。その後、五日市街道を東に行き、睦橋通りから、曲がって東秋留橋を渡ったのだろうか?
再び武蔵増戸に行ってきました。
やはり探している駅は、ここのような気がしてきました。
前回(2004.7)訪問したときは雑草が高く良く見えなかったのですが、今回(2004.11)は雑草が低くなっていたので、道路からホームがよく見えるようになっていました。
跨線橋や屋根ができたのは、平成元年当時より前のようですが(建物財産標等から)、その時は、実は、ホームの一部しか見えていなかったのかもしれません。
2004.11.14 武蔵増戸
駅名が見えるということは車道とホームの間に線路があることが必要です。


昔は道路沿いの新しい家は、なかったのかもしれないので、もっとホームを広く見渡せたかもしれません。

踏み切り

雰囲気のある待合所


待合所ができたのは、大正13年。(建物財産標から)上からペンキが塗られていて良く見えません。

下りホームができたのは、昭和43年。(建物財産標から)

跨線橋ができたのは、昭和55年。

下りホームの屋根ができたのは、昭和54年。

線路にネコが…、危ないよ。
ある方から武蔵増戸では?という情報をいただき、武蔵増戸を見に行ってきました。
以前には電車の車内から見たところでは違うイメージがありました。駅の裏手の道路から、ホームも見ることができるということで、電車を降りて、裏手の道路からホームを見ることにしました。
その当時、ホーム全体が見えていなかった記憶もあるので、このような感じだったかもしれません。
2004.7.18 武蔵増戸 (東京都 あきる野市)


ホームのすぐ裏からも入る道路があり、ここからもホームが見えました。

小さな待合所もイメージが合っているような感じがしました。