東福生にある緑の電車についての続きです。
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東福生8 育英高専パリメトロについて書かれている
「汽車・電車1971~」のページの作者さんから、 鉄道ファン誌 1973年7月号 (p.48~53)に掲載されている「パリ・メトロの郷愁」 大塚和之氏 という記事を見せていただきました。
「汽車・電車1971~」のページの作者さんからは、
育英高専→東福生にある車両とタカシマヤ 玉川店に展示されていた車両について
「差異は
・車体色 これは後に塗り替えられた場合もあるかと思いますが
・窓配置 二子玉川のものは中間車で運転台がありません。
育英高専のものは運転台付きで乗務員扉もあります。」
とのことでした。
そこで、私も記事の中の日本での展示の写真(p.50)をみて、明らかにこれは違うなと思いました。違いを書きますと、
・車体の色
パリメトロに色違いの車輌があることはH.kumaさんからご紹介いただいた、ペーパークラフトのサイトや、保存車輌の走行会の画像を見ていて知っていたのですが、当時は、一等車と二等車で色分けされていたとのこと。タカシマヤで展示されていた車輌は”赤色”の一等車でした。明らかに違いますね。
・側面構造
窓と屋根の間に縦線状の構造があり、これは東福生のものと違いがありました。
・先頭車と中間車
写真に写っていたものは中間車でした。
連結部の妻板?の配管やボックスの形状の構造も違いがありました。
記事には形式図も掲載されています。
・車体番号
東福生のものはM-330の読めていたので、記事のA-1010とは違いますね。
・製造年
東福生のものは1901年製(一番古い先頭車両)とのことですが、記事では1907年製ですので、これも異なるようです。
・台車
東福生のものは台車がありません。
記事の写真には車体に日本語で「パリ最古の地下鉄」というプレートが掲げられており、日本のデパートの前で撮られたことは間違いないようです。バラストも敷かれたレールの上に設置され、カフェ(CAFE METRO)としても使われていたようです。
東福生のもの=育英高専のもの 車内を写した写真の中に写っていたポスターで、同じものがあり間違いないと思います。
東福生の車輌が、育英高専の前はどこからきたか?
育英高専が、学校での文化交流等の意味で輸送したのでしょうか?
東福生の持ち主に聞けばわかるかもしれませんね。
鉄道ファンの記事「パリ・メトロの郷愁」 は、作者の思い入れがあって感慨深いです。パリでの想い出の車輌と東京で再会することになったとのことです。 当時の新聞、昭和47年7月23日号、読売新聞の記事が引用されており、それによると 「スクラップにされかけたパリの地下鉄車両一台が東京のTデパートに買いとられ、22日に横浜港についた。明治40年の建造。一昨年までモンパルナス-モンマルトル間を走っていた1等車である。日本行きが決まってから赤い塗料で化粧直しされたが、パリジェンヌは積み出し港のル・アーブルで涙を流して、見送ったとか。・・・・・・」
こちらの車両はその後どうなったのでしょうか? 作者の思いに反しスクラップにされている可能性も高そうですが、東福生に残っていればよかったのですが・・・。
(ちなみに)朝日新聞 昭和47年7月23日号によると、パリからの輸送費は650万円とのこと。
「汽車・電車1971~」のページの作者さんからは、
「 二子玉川以外にパリメトロが日本に来ていたとは予想外でした。
ちなみに国内の保存車両リストとしては最も網羅されている鉄道友の会保存車・廃車体一覧 3・4、および同書リストをベースにした白川淳氏の「全国保存鉄道2」にもこの2両のパリメトロ は記載されていません。」
とのことでした。
東福生で何気なく撮った一枚の写真から意外なことがわかってきました。しかし、調べれば調べるほど謎は深まるばかり。
迷宮の扉を開いてしまったのかもしれません。
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東福生10(緑の電車6)