昭和2年2月、大正天皇の陵墓造営に必要な多摩川石を運搬するため、福生駅から多摩川の羽村境に至る1.8km間の砂利運搬専用線が布設されました。
この引き込み線は、砂利線と呼ばれ、日に2回、電気機関車が4、5輌の貨車を引いて走りました。
昭和34年12月に砂利運搬は停止し、 昭和36年3月、線路や架線が撤去されました。
今回は、「もう一つの砂利線」ではなく、「福生河原支線」の方を歩いてきました。
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福生河原支線廃線跡を歩いて
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福生13 (もう一つの砂利線7)
2013.3 福生河原支線の廃線跡 (東京都 福生市)
新奥多摩街道を渡る地点。福生駅側の駐車場から加美上水橋の方向の廃線跡を望む。
道路脇にある地図
線路跡が道路になっており、線路跡がはっきりわかる。
河川敷の堤防の上にある線路跡
「福生市営競技場」方面に向かっている。
河川敷の構造物
福生河原支線の遺構がどうかは不明である。