やまいも様から、「伊奈石の採石.加工と多摩川流域の流通についての研究」(伊奈石研究グループ 1995、とうきゅう環境浄化財団刊)の中で、トロッコ軌道に関する記述があったとのことで、図書館に行って読んでみました。(やまいも様、ありがとうございます)
いきなり冒頭の「Ⅰ 伊奈石調査研究の目的といきさつ」(p.3)で、「伊奈の石切り業は江戸前期には横沢村・伊奈村を中心に栄えたが、江戸中期には衰退し、近代まで細々と続き昭和戦前まで石材運搬のトロッコがあった。今は横沢入に石切場遺跡が残るのみである。」との記述がありました。
そして、「Ⅴ 伊奈石石切り場遺跡」 の(p.35) で、「宮田西沢の北東側の沢の入り口をふさぐようにして、幅5m高さ2mの堤状のズリの集積がありこの堤は宮田西沢の東腹をスロープで下っていく地形が観察できる。この堤状の地形は聞き取り調査によって、近代に伊奈石の砕石を搬出したトロッコ道ということが判明しており、江戸時代の石切り場遺構とは直接の関係はない。」との記述がありました。
このように、横沢入地区にトロッコ軌道があったことは間違いないことがわかりました。ただ、この前、
天竺山の西側に発見した採石場跡とは、場所が異なり、ここについての記述はありませんでした。
(この論文の調査研究の対象が、江戸時代の石切り場遺構を対象としているためか、近代のトロッコ軌道等の産業遺跡については詳しくは記述されていないようでした。)
また、天竺山の西側は地層として伊奈石が採石できる場所ではないようでした。伊奈石ではないとすると、一体、何を採石していたのか? という新たな疑問が沸き起こってきました。
トロッコ軌道についても、論文に記載されている「宮田西沢」にあったものとは別に天竺山西側にあったことになり、この周辺には他にもこのようなトロッコ軌道の廃線跡は数多く眠っているのかもしれませんね。